2021年1月17日5:49 AM カテゴリー:ブログ
阪神・淡路大震災から26年が経ちました。当時、被災度判定ボランティアで東灘区の国道2号線と43号線の間の住宅地エリアを担当しました。幼少期や学生時代に阪神間で過ごしたことがあったので、ある程度の土地勘はありましたが、あまりにも多くの倒壊した建物で道が塞がれ、自分が何処にいるのかが判らないほどでした。自分がいる場所を確認するため、六甲の中腹にある甲南女子大学の建物などが目安になっていました。また、この震災を忘れることが無いよう、その時に付けていた腕章を今でも大切に保管しています。
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